ヨコハマトリエンナーレ2020を2つの視点で体感

横浜の一大アートイベントの ひとつ、「ヨコハマトリエンナーレ2020」に足を運びました。 トリエンナーレとは、3年間に一度横浜で開かれる、現代アートの国際展です。横浜から新 たな価値観と文化を世界に発信し、国際交流と相互理解に貢献するという目的のもと、20 年前から開催され、横浜市民に愛されてきました。

ところで、皆さんは OriHime という分身ロボットをご存じですか?距離的問題や身体的 問題などによって社会参加を妨げている課題の解決のため、自分の分身となってくれるロ ボットで、このトリエンナーレにも新しく導入されたシステムです。

取材では実際にこの目で 作品を鑑賞する場合と、この OriHimeを通じて鑑賞する場合の 2つの方法で取材をさせていただきました。

まずは肉眼で。最初に視界に入ったのはニック・ケイヴの「回転する森」という作品です。 大小形様々なレインボー色の飾りが天井から吊るされている様子は、とても神秘的に思われましたが、近づいてよーく観ると、それらはスマイルやピースマークの他に銃のデザイン もあるなど、社会の光の中に潜む闇を連想させる深い作品でした。他にも、漂流物から作った家具(沖縄で収集した廃船の復元)のゴミと化した人工物がまた新しく家具へと不自然に戻る姿は妙に迫力がありました。また、変形した体操器具が置かれた部屋、タウス・マハチェヴァの「目標の定量的無限性」は四方八方から聞こえてくる他人のささやきになぜか聞き覚えがありました。どの作品も 1つの意味だけにとどまらず、何か裏の現実があったり、複雑な気持ちや葛藤があったりと、もう一歩踏み込んで考えることができるものばかりで、自分の今までの芸術概念がガラリと変わりました。現代アートの自由さを肌で感じることのできた体験でした。

また、後半は OriHime を通して鑑賞しました。記者の仲間が本体のロボットを手にもって館内を回り、私が離れた場所で専用のアプリの入ったタブレットの画面を見ることで、そ の人たちと一緒にその場にいるように作品を楽しんだり、コミュニケーションをとったり します。マイク・スピーカーによる音声会話に加え、どの表情にも映るようなフェイスと種 類豊富なリアクションを駆使して、誰でも細かい感情まで表現できるようになっており、十 分な安心感の中で作品を楽しむことができました。 一方で、リモートならではの課題も見えてきました。例えば、エヴァ・ファブレガスの「からみあい」は人間にと って気持ち良い形や感触を表現した展示でしたが、画面越しに見るだけではなかなか感じ取れない部分が多くありました。また、キム・ユンチョルの「クロマ」では光の微妙な色の変化や、作品から聞こえるかすかな音を感じ取ることも至難の業でした。つまり、OriHime のような分身ロボットを使用すると、視覚・聴覚の効果が多少薄れ、さらにその他三感においてはほとんど機能しなくなってしまうのです。これは非常に難しい問題だと感じました。

現時点の OriHime の目的は、「移動の制約」を克服し、「その人がその場にいる」ようなコミュニケーションを実現することです。そのような観点からいえば、スマホやタブレットの ビデオ機能で済ますよりも、いくつもの感情を表現できる分身ロボットの方が、さらに自然 に人と人を繋げられます。しかしこの先、科学技術が進歩して、リアルとの差を限りなく近い状態にできたら、私たちの理想であるソーシャルインクルージョン達成にも大きく貢献 することだろうと思いました。分身ロボット OriHime はそのような素晴らしい可能性をもっているので、ぜひ今後に期待したいです。

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